食洗機とイニシエーション
先日、壊れた食洗機を捨てた。
動かしているときの、ゴウンゴウンという音が大きすぎて、テレビの音すら聞こえなくなってしまったからだ。
思えば、長い付き合いだった。
側面に、小学生の私が貼り付けた、ピングー柄の、マグネット式ホワイトボードが貼ってあった。ホワイトボードと言っても、ペラっとした薄いものだ。
そこには、「ホワイトボード!!」とテンション高めに書いてあった。油性マジックで。
なんのメッセージ性も持たず、不可変(油性マジックで書いちゃったから)なそれは、食洗機が壊れるまで、意味もなく貼り付けられたままになっていた。
食洗機はもちろん粗大ゴミだ。
粗大ゴミは、普通のゴミの日に出しても持っていってもらえない。役所などに連絡して、お金を払い、取りに来てもらうか、自分で粗大ゴミセンターのようなところに持っていくか、だ。
粗大ゴミセンターに持ち込めば無料なので、車に食洗機を積み、遠路はるばる(20分くらい)向かった。
粗大ゴミセンターはすごい。
敷地に入ったところから、すごく丁寧で優しい係員が誘導してくれる。
粗大ゴミを捨てに来ただけなのに、なぜか「社会貢献をしたぞ!」というような謎の達成感に満たされる。
場内は、ドライブスルーのようになっていて、ゴミの計量などの工程を経る中、車に乗った人はほとんどなにもせずに済む仕組みになっている。
実はこの日、食洗機の他にスーツケースも捨てようと持ってきたのだが、スーツケースの分は予約をしていなかった。
「実はスーツケースもあるんですが…」「大丈夫ですよ!」
明るく即答された。優しい。嬉しい。
いよいよ食洗機を捨てるという時、係員がホワイトボードを指さして聞いた。
「こちらはどうしますか?」
私は、「そのままでいいです。」と答えた。
持ち帰るものでは無いと思ったからだ。
なぜか少し寂しく感じた。私の中のなにかが1つ終わったような、食洗機を捨てることがある種の通過儀礼だったかのような感覚だった。
センターの各所に配置された係員たちに、ありがとうございました〜と笑顔で送り出されながら、帰路に、センチメンタルジャーニーに、就いた。
家庭内決議の結果、(主に私の「手で洗えばいいよ手で!!!!!!!!!」という意見により)新しい食洗機の購入は見送られた。
今はまだ、あの、ホワイトボードと、食洗機と、幼い私の、喪に服したい気分なのだ。