人間らしさ

誰しも、「生きているだけでお金がほしい」と思ったことが一度はあるだろう。

 

私も常日頃そう思っている。日常的に自分がしていることに収入が発生したら……ゾクゾクするような胸の高鳴る想像である。

 

たとえば、私が歯を磨くたびにお金がもらえるとしたら、どうだろうか。

 

お金をもらうには、お金を払ってくれる人が必要なわけで、私の歯磨きになんらかの魅力を見出した人がお金を払うことになる。

 

そのためには、まず「歯磨き」を発信する必要があるだろう。

 

そこで、なんらかの何かが発生して、私の歯磨きが話題になるとしよう。

 

『必見!ゴリラさんの超絶歯磨き!!』『今までの歯磨きが変わる!』

 

こんな感じの記事が雑誌や新聞に載り、特集が組まれ、私の歯磨きの知名度が上がっていく。

 

ちなみに、私の名前を仮に「ゴリラさん」としたのは、単純に私がゴリラを好きだからである。純粋な強さに惹かれる。

 

歯磨きの知名度が上がっていくにつれて、私は不安になっていく。いままで自分が当たり前にしていたことが、そんなに物珍しいものだったのか?他の人は一体どうやって歯を磨いているんだ。

 

さらに有名になると、欲が出てくる。さらに変わった歯の磨き方にして、さらに人々をあっと言わせちゃおうかな、というエゴである。

 

こうしたエゴに、人は敏感だ。これを察知すると、人はすっと引いて、去っていく。あいつ調子乗ってるな、というアレである。

 

すると、あとに残ったのは、「変な歯の磨き方をする昔ちょっと流行った人」という曖昧な肩書きだけになる。

 

驕らず、寡黙に自分の歯磨きスタイルを貫けば、歯磨き界の重鎮になれたかもしれないが、世間の流行は流れて行くものなので、私のような新参歯磨き者は生き残れないだろう。

 

生きているだけでお金をもらうのは簡単ではないようだ。それでも、そう願いながら今日も歯を磨いている。